数あるサプリメントの中でも、高い健康・美容効果が期待されているプラセンタ。ここ数年で一気に注目度が高くなったわけですが、実際にプラセンタはいつ頃から使用されてきたのかご存知ですか?
プラセンタの歴史を紐解くと、実は想像以上に昔までさかのぼることができます。今回は、そんなプラセンタが世界で使われ始めた起源や日本での歴史について、簡単にご紹介していきましょう。
古くは紀元前から世界中で愛用されてきたプラセンタ
プラセンタ、つまり胎盤に含まれる美容・健康成分が注目され始めたのは、今に始まったことではありません。その起源は、なんと紀元前にまでさかのぼることができると言われています。
その最も古い歴史と考えられているのは、紀元前460年代頃に古代ギリシアに生まれ、医学の祖と言われるヒポクラテスが挙げられます。この時代から、傷の治療や病気などに胎盤の栄養成分が活用されていたとされています。
また、中国では紀元前200年代から、胎盤を用いた「紫河車」という漢方薬が、不老不死の薬として愛用されました。当時中国に君臨していた秦の始皇帝も、この薬を愛用していたと言われています。
世界三大美女に数えられるクレオパトラ、楊貴妃やマリーアントワネットも、胎盤を飲んでいたことが知られています。古くから、胎盤から抽出されるプラセンタが、エイジングケアや美容のために使用されていたのがよく分かりますね。
日本でのプラセンタの歴史
日本でのプラセンタの歴史は、江戸時代。加賀三大秘薬の1つ「混元丹」という薬にプラセンタが用いられていたとされています。当時の日本は大陸から文化の流入が頻繁に起こっていたので、おそらくプラセンタも、この時代以前から薬として存在していたのではとも考えられます。
ちなみに、混元丹は現在も金沢土産として購入が可能です。高麗人参や桔梗といった減量の他、豚由来のプラセンタも材料に含まれています。もしも現地に旅行する際は、探してみると面白いかもしれませんね。
現代のプラセンタ療法の広がり
現在のようなプラセンタ治療の基礎は、1930年代のロシア、つまり旧ソ連が始まりとされています。当時、フィラートフ博士という人物がプラセンタをある治療に用いたことがその大きなきっかけとなりました。
その治療とは「組織療法」と呼ばれるもので、病気の患部に別の組織を埋め込むというものです。この組織療法は、その後1950年に日本へと渡ったのち、当時の医師によって「組織療法研究所」が設立されます。
この研究所がプラセンタエキス、注射薬の開発を進めます。そして誕生したのが、現在厚労省に認可されているプラセンタ注射薬である「メルスモン」を製造・販売しているメルスモン製薬会社なのです。
また、これとは別に日本でプラセンタの開発・研究を行う方もいました。稗田憲太郎博士という人物です。彼は第二次大戦後、中国で組織療法に出会い、「久留米組織再生研究所」を設立して独自にプラセンタの研究開発を進めます。
その結果作り出されたプラセンタ注射薬が「ラエンネック」で、製造の承認を受けます。その後研究所は、1970年に株式会社日本生物製剤と名前を変えることになりました。
過去から現在まで、私たちの健康を支えてきたプラセンタ
今でこそ、プラセンタは様々な成分を含むサプリメントとして一般的に知られていますが、実は紀元前から様々な治療に使われてきたということが、お分かりいただけたと思います。
過去、そして現在に至るまで、プラセンタは私たちの健康を支えてきたというわけです。ある意味その効果は、歴史の偉人によって「お墨付き」が付いているとも言えますね。